てづくり婦人服店 グリーン・ゲイブルス・アヴォンリー

てづくりの店は、「商い術」もてづくり

今や、創業支援ブーム、女性起業家ブームである。しかし、当店が平成3年開店の頃までは、大型店と商店街の競争が激しく、新規参入は歓迎されず、創業支援という恩恵もあまり受けなかった。
しかし、子供の頃からお店が好き、おままごとでも、必ずお店屋さんをやる少女だった彼女は、銀行員、主婦(今でも)大型店や流通関係勤務を経て7年を費やした準備期間の後、商店街の表通りに店を出した。
準備期間の間に、流通業で店舗後方の事務、1坪ショップへの出店による売り場の経験・オリジナル製品の販売を重ね、満を持しての出店である。

当初はオーダー婦人服、リフォーム、てづくり小物の他、カジュアル衣料を仕入れて販売していたが、当初はどうしても売れなくて苦戦する。そこで「作れるものなら何でも作りますよ」とうたっていたら、「これを作って」「これを直して」という細かい仕事が増えてきた。そういうお客さんの要望には応えるのが肝心と、経験のない品物にも挑戦し、徐々にレパートリーを広げていった。
そうなると、お客さんとの会話も増えるが、常連のお客さん・そうでないお客さんのどちらにも不快な思いをしないようにという配慮でうまくバランスを取ってきた。
そして、商売のやり方もお客さんから学んできたと振り返る。
ある日、手作り手提げ袋を見ていたお客さんが、「これもオーダーで出来ますか」と聞いてきた。子供が入る幼稚園で使う手提げ袋には規格があって、幼稚園によって寸法が少々違うとのこと。「もちろん、できます」「入園までに間に合うかしら」「間に合わせましょう」これが、袋物ヒットのきっかけだった。
幼稚園では「園児が使う手提げ袋はお母さんの手作りにしましょう」と言って、お母さんに手作りを強制(?)させているところが多い。しかし、現代のお母さんは多忙である。洋裁の技術だって誰もが十分持っているとは限らない。手作りしてくれる店があればありがたい。というわけで、「手提げ袋を作ってくれるお店」という口コミが広がり、当時は他にやっている店が無いせいもあって、一時はあちこちのお母さんから注文が殺到し、月に1000袋を制作するという状態になった。
これが、店の経営を確立させる最初のオリジナル商品となった。

次に、てづくり教室としてパッチワーク、シャドーボックス、トールペイント、フラワーアレンジメントなどを開催、固定的なお客さんづくりにつとめたが、教室というのは意外に苦労があり、女性を中心とした生徒、年長の「先生」の間に入って神経を使う日々は当時の経験・年齢ではけっこう厳しいものだった。
厳しいと言えば、店で働いてもらうスタッフも洋裁の技術を重視してベテランの人をそろえたのは良いが、当時はみんな自分より年上。職人的な気質を持つ人もいて、気持ちよく仕事してもらうのにやはり神経を使った。
そういう環境でうまくやっていくには、役割に応じてはっきり線引きをすること、必要以上にベタベタしないことが大事だった。お客さんに対しても同じくベタベタしない方針を持っていて、婦人服オーダーの店(スーツ・ドレス等重衣料も扱っている)というと、お客さんが来ればお茶くらい出して、お菓子もあってくつろいでいただく、というスタイルを想像するが、当店はお茶等は出さない。
後から来たお客さんが座る場所もないのに先客がお茶を飲んでいては、あまりにも待遇が違うではないか、という考えからである。

一昨年、当店は人通りの少ない住宅街に移転した。
隣には神社があり、反対側はスナックだ。店は路面から引っ込んでおり、以前に比べると目立たない。しかし、「表通りで10年やったおかげで、固定的なお客さんができています。来店客数は、あまり変わりません。家賃などは1/3になりました」という結果で、コストダウンを果たしたわけである。
当初開店した平成3年と言えば、バブルは終わったのに「また土地は上がるよ」とか言われ、こんなに長い不況になるとは予想しにくい時期だった。そういう時代の店の家賃は安いとは言えないものだったが、「家賃」というものは、持ち主の生活設計との関係がある場合が多く、なかなか下がりにくいもののようである。下がらなければ、安い場所に移転するのが、ひとつの選択肢になる。しかし、安い場所になると人通りなどの立地条件が落ちるのも覚悟しなければならない。当店が立地・店舗の外見・広告の量などに依存する業態だったら移転はマイナスの方が大きかったと思われる。幸い、口コミが主要な宣伝媒体だったことから、移転も成功したわけである。
今の店は、どこからみても「手作り」である。以前の店の方が店らしく思われるほど、たった今主婦が始めたような手作り感のある店構えである。これもコストをかける必要が無くなってきたからだと言えるだろう。

しかし、当店では、コスト削減ばかりを考えているわけではない。
まず、第2のオリジナル商品として、インテリアのモデルルーム用クッションカバーやクロスなど小ロット縫製の仕事をしたいという希望を持っている。モデルルームのカーテンなどに雰囲気を合わせたクッションカバーなどは、大量生産する必要がないだけに、小ロットの縫製が必要になると読み、現にそういう仕事が入ってきているからである。
次にインターネットの活用がそれである。ホームページを早い時期に開設し、店と商品・サービスのPRをしている。インターネットは第2の口コミであるとの考えから、自分で勉強して、プロバイダも自分で探して開設したものだ。
開店準備に7年かけて、「てづくりの店」を経営しているだけあって、インターネットの導入も自分流「てづくり式」だったわけである。
本人は、「経営と言っても、あまり深く考えていません」と言うが、「お客さんに学ぶ」、「お客さんに聞いて新商品を開発した」、「てづくり式インターネット導入」から判断して、「顧客志向」「自分流の方法を求める」という要素を持っているのではないだろうか。経営戦略というと大げさだが、よそにある戦略を持ってきてそのまま使う、ということは出来ないのが経営である。「自分流」を自分で作り出さねばならないのが経営である。そういう意味では、「てづくり商品」自体が「自分流経営」のヒントになっているのかも知れない。(2002/2月)

グリーン・ゲイブルス・アヴォンリー
戸田市上戸田3-20-9
電話 048-432-8338

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