不屈の経営者のエッセンス
プロローグ 〜著書より〜
当時、私の父が社長であった会社が客先の不渡りを食らいついに倒産の憂き目を見たのが忘れもしません昭和46年1月5日のことです。
私は、債権者の皆さんの怒号と誹謗のなかで涙がとめどもなく流れていました。
皆さんに申しわけないというような涙ではありません。大変な借財の中での恐怖感でもありません。毎日の不眠不休でそんな健康な頭の状態はとうの昔になくなっていました。
仕事などはこれからまた軒下から一からやり直せばよいと思っていました。思い出多きこの場所から離れなければならないという惜別の涙です。
が、しかし第一回目の債権者会議で思いもよらない出来事が起こりました。
社長である私の父が退いて、若干三〇歳の私に新会社を起こし、新しく出発しろというのです。債権者の皆さんは少ない配当で残金は待つというのです。
あっけにとられている私を尻目に債権者会議はドンドン進んで行きます。もちろん私に異存などあろうはずがありません...
インタビュー
倒産する前は自分は“工場長”の肩書きで脇目もふらずに仕事をしていた。しかし、経理は全然わからない。現場の仕事だけやっていた。経理や管理は常務のX氏に任せていた。彼は父と家族ぐるみのつきあいで、父も母も彼を信頼していた。母から言われたものだ。「Xさんを見習いなさい」と。しかし、その彼が会社の手形を自分個人の支払いに使っていたのだ。横領だ。手形の管理・実印の保管も任せていた。手形を乱発された結果、資金が足りなくなる。どうもおかしい。おかしい、と言っているうちに取引先が倒産し不渡りを食った。
乗り切ろうにも資金がなくなっていて、どうしてもやっていけない、ということになった。万策尽きて債権者会議を開いたわけ。
いろいろ調べてみると、そのXさんが原因だというのがわかって来て、警察に突き出せ、とか大騒ぎになった。自分は手形の仕組みも知らなかったから、ただ、すべてを失うんだと思っていた。
しかし、新会社でやってみろとチャンスを与えられたので、それから猛烈にがんばった。仕事はおもしろくてしょうがなかった。可能性は無限。1日3時間睡眠。機械の脇にベッドを置いて、そこで寝起きしたんだ。朝起きるとすぐ機械を回すの。
高度成長期だったから、がんばった分、全部数字になって返ってきた。13年かかって7000万円を返済した。債権額が1万円の債権者にも返した。これが、後々すごい信用になった。売上はドンドン増えて、ピーク時は年商5億。店頭公開も考えたよ。
今じゃ不況で、大変だけどね。
-なぜ、債権者会議で、新会社でやっても良いぞ、という話になったんでしょう?
あのね、僕は、それ以後自分が債権者になったりして債権者会議をいくつも見ているけど、倒産企業の社長が若い人だと、債権者の間には、こいつを働かせて金を回収してやろうという、表に出ない計算が働くのね。
でも、若くても、遊び人とか、ごまかす人はだめだよ。まじめでないと。
-じゃあ、若いうちはやり直しがきくというわけですか?
そういうこと。でも、高度成長期になってから開業した人は、不況の免疫が出来てないから、大変だと思う。うまくいっている時は誰でもうまくいくんだよ。追いつめられたときにどうするかだ。
それには、考えの手順を整理することが必要だ。追いつめられると頭の整理が出来なくなる。たとえば、今月中に400万のお金が足りない。どうしようか。
免疫のない人は、サイフには500万しかない、落とす手形は900万だ、400万足りない、足りない、そればかり考えてエンドレスの堂々巡りをするわけ。そのエンドレスから抜け出さなきゃならない。
それには、エンドレスになっているのとは別の要素を見つけてそこにぶち込むんだ。
別の要素を見つけるひとつの方法として、考える範囲を広げるという方法がある。
考える範囲を広げると、自分の当日のサイフ以外になにか資源がないか探す余裕が出来る。企業なんだから、数字の要素はサイフの中と支払先だけじゃないだろう?
もう一つは感情的にならないことだ。
感情的になると、そういう余裕は無くなってしまう。一番いけないのは恐怖感だ。
ぼくはね、お金というのは5万円以下の金額をいうものだと定義しているんだ。5万円を超えたらお金じゃない。単なる数字だ。
数字には感情も都合もない。あるのは金額と期限だけだ。だから400万のお金が足りない、というのは、単に数字があわないだけなの。
でも数字には優先順位がある。明日も商売を続けるには何が必要か、というのが順位を決める基準だ。あの人には世話になったから、遅れてはいけない、誰々には弱みを見せたくない、こういうのは感情だ。感情で順位を狂わせてはいけない。催促される事への恐怖も感情だ。借金なんて、一番うるさく催促するところに先に返済したら、間違いだった、という事が多いよ。感情より、勘定だ。
いろんな要素を考えて、感情は整理して、あとは頭を下げることだ。これをしなければ免疫はできないね。
お金の哲学というのは奥が深いよ。
エンドレス状態から、それとは別の要素を見つけるのには、脳の中に自分1人がいるだけじゃなくて、もう一人の自分がいるとうまくいく。
その2人が対話をしながら結論を導くのだ。2人じゃなくて3人や5人だともっと良い。
その5人の経験・知識・ものの見方は違うほど良い。5人の経験などが違えば違うほど、新たな別の要素を見い出しやすい。脳味噌の中に、いろいろな人がぐちゃぐちゃいっぱい居る状況を作ることだ。
つまり、経営者はいろいろと異なる経験を積み、いろいろな知識をもっている方が良いのだ。職人さんは少し違う。その道一筋の経験と努力で勝負するのが職人さんの世界だろう。
経営者は自分の企業に関しては限られた部分ではなく、全責任を負わなくてはならない。つまりオールマイティでなくてはならない。ある部分の専門家にはおよばなくても、本当とウソを見破る位のことはできなくてはならない。
私も経営者としていろんな経験をしてきたから、他にも若い人に聞かせたい話は山ほどある。でも、最初に言いたいことは、免疫をつけろ、それには新たな要素の発見だ。それから頭を下げることを恐れるなということ。また機会があれば話はしてあげるよ。
エピローグ 〜著書より〜
…あっけにとられている私を尻目に債権者会議はドンドン進んで行きます。もちろん私に異存などあろうはずがありません。それを境に涙の性格が徐々に変化していきました。皆さんに対して感謝の気持ちと世の中のどうすることもできない大きな心を感じたのです。
と同時にあまりに大きな責任感で押し潰されそうな恐怖感で心は一杯になりました。
…ないないづくしで新会社が出発しました。あるのは技術とはち切れんばかりの未来に対しての期待感だけです。いろいろなことをのりこえたくさんの知識を勉強しながらとにかく全力疾走で駈けぬけてきました。
疑問を感じたり難しい困難なことにぶつかった時、決して逃げてはいけません。
不便な場所をのりこえるたびにノウハウが積み重ねられます。可能性の追求です。これは日常生活であろうが、会社の業務であろうが、政治行政であろうが、すべて同じです。
いろいろなデーターを集めて組み合わせます。その時、気をつけなければならないことは余分な枝葉を見ないことです。基本的なシンプルなものの考え方でデーターの組合せをする必要があります。それでも方法が見つからなければ考える土俵を広げることです。
東京都で考えるより関東で考えます。日本国よりアジアで考えます。地球全体より宇宙規模の発想を心がけます。もちろん方法が見つかっても今日は実行できないかもしれません。方法にいきづまってもクヨクヨすることはありません。今日見つからなくても明日は解決します。おかげさまで特許、実用新案が出願中のものも含めると170件になりました。・・・