経営戦略その1 下請け零細機械加工

下請け零細機械加工というと、昔言われた3Kである。中小企業基本法が改正されて中小企業の特徴は2重構造の下に位置する弱い存在ではなく、「活力ある多数」として「経営革新に挑戦したり、自社製品を持って成長するべし」と言われるようになったが、そうは言っても、まだ弱くて遅れている存在であるという印象を受けがちである。

たしかにある意味では弱い存在であるが、日本経済がそれらの下請け企業に支えられて来たという面もあり、それなりの強さ、たくましさ、それを支える戦略も持っている。

ここではある企業の苦労話を経営戦略としてご紹介する。大変素朴なものだが、自社の生き残る道を探りあてている、という意味ではこれも立派な戦略ではないかと思う。

経営者の経歴 生来機械いじりが好きで、工業高校に進学、卒業後は機械関係の工場に就職した。そこで、一通りの技術を身につけ、高度成長の機会を生かして独立、一時は繁栄を謳歌した。

しかし、ドルショック、オイルショックによる不況に見舞われ、経営は苦しくなっていく。

苦しいのは取引先も同じで、お得意さんからいじめられ、単価引き下げ、売上げ回収の長期化が進む。仲間の企業も同様に苦しく、同業者の手形を裏書きしてやったら、逃げられて結局それが直接の原因となり、倒産状態。債権者の一人である卸売業に身を寄せ、営業マンに転身。結局そこも倒産し、借金を返せる見込みはなくなって法廷に身をさらすことになった。

元々まっすぐな性格だったため、裁判では自分の非を認め、謝罪したが、結局残った借金を全部返すことは出来なかった。

その後、しばらくは他の仕事をしていたが、生来の機械好き心がうずきだし、友人から中古機械を購入、またも機械加工業として自営を開始した。

2度目の開業と戦略 2度目の開業に当たっての方針はいくつか立てた。

まず、手形・小切手は使わない。これが使えると、支払いのあてが無くても切らなければならない。切ってしまえば支払うためになんとかしなければならない。だから、現金で出来る範囲でやっていこうと決めた。

支払いは現金100%。売上げも極力現金回収。手形が混じっても半金半手(現金50%、手形50%)までとする。

倒産前に取引していたお客さんの仕事はやらない。理由は、いじめられたからである。現在も取り引きしているのは、自分が勤務していた会社1社だけである。従って取引先は新規開拓が中心になり、自力での営業が必要になった。

自分と同じ機械を持っている企業には営業に行かない。最終的には競合するおそれがあるから。

従業員20人以上の企業も営業に行かない。つまり、社長と直接会えて、直に仕事の交渉が出来る企業だけを選ぶ。下請け係という役がいる企業には、いじめられることが多いからだ。通常、社長は経営の全部の要素を承知している。しかし、何々係という人は、自分に与えられた仕事しか承知していない場合がある。中には、下請け係なら自分の仕事=いかに安く下請けを使うか、値引きが仕事、と考えている人がいる。全ての人がそうでは無いだろうが下請けいじめにつながりやすいと判断したからだ。

また、20人を超える規模の企業では量産品を安い単価で扱う場合があり、そういう仕事をもらってもなかなか採算が取りにくい。うちのような小さいところは、治工具類や試作品などの少量生産品を狙わないと苦しい。

同じ種類の製品を扱っている会社は1社だけと取り引きする。得意先同士が競合する関係というのは、避けた方がよい。

できるだけ、多くの得意先からいろいろな仕事を少しずついただくことをめざす。リスクの分散である。一社専属のような形だと、その会社から離れられず、無理な要求も受け入れねばならない。いじめられやすいとも言える。1社専属下請けにもメリットはあり、立派にやれる下請けもあるだろうが、自分はリスクの分散を選択した。経営の自由度を確保したかった。お客さんあっての自分だし、お客さんの要望をきいてあげること、信頼関係が大事であるが、それはお客さんへの単なる奉仕のためではなく、共存共栄のためだ。

一方的にお客さんのいいなりになることではない。だから、自分の側にも選べる自由度を確保する、という事である。

そのかわり、仕事の仕上がり・納期はお客さんの満足がいくように最大の努力をする。おかげさまで今では完成後に見積請求し、80%はそのまま通る。普段から信頼される単価を出せるよう心がけている。

新規開拓営業 上の方針に基づいて飛び込み営業を行った。それとなく下見をしておき、目当ての工場を訪問する。せんべいとか、菓子折を持っていって「どこそこで機械屋やってますが、何か仕事ありませんか」と挨拶すれば、話くらいは聞いてくれる。そこの工場の機械を見て、旋盤を持っていなければ「うちは旋盤屋です」と言い、フライスが無ければうちは「フライス屋です」と言って歩いた。小さい工場の方がそろってない機械が何かしらあった。今は少し違って来ている。

また、異業種の人が紹介してくれる場合もある。新聞屋さん、飲み屋さん、そのほか月1回くらい営業に来る職種の人がいるでしょう。そういう人に「仕事がほしいなあ、ねえ、同級生で機械屋やってる人、いない?」とか聞いて紹介されることもたまにある。

おかげさまで、今の得意先は30社ほど。常に仕事をしているのはそのうち3~4社で、30社からとっかえひっかえ仕事が来る状態です。結局、倒産時の借金も返せなかったし、信用も無かったから、現金商売で始めるしかなかった、という事もあるけど、今のところはうまくいっています。

今後の見込み 今、設備がかなり古くなって来たので、買い換えを考えています。昔、月賦で設備をした後は資金繰りが厳しくて、工場のストーブに使う灯油を買うお金も無かったときがありましたっけ。

おかげさまで今は仕事があります。しかし、景気を見るといくらか良くなった、という時期が3ヶ月、悪い時期が6ヶ月、その中間が3ヶ月という感じでしょ。こういう状況だと、たとえ設備資金7年で借りられると言われても、その7年間がどういう7年になるか見当がつきません。

だから自分としては借金して設備をするのは控えたい。少なくとも設備代金の半分以上の金額の蓄えをしてからでないと月賦でも購入する気になれません。今後も自分のペースで行きたいと思っています。

これらの、ある意味で素朴な方針や体験談を経営戦略として紹介するのは少々気恥ずかしい気がしたが、経営戦略とは経営目標を実現するための基本的な計画や方針であると言われている。

この事例の場合、まず生活できる事と、好きな機械の仕事を続ける事が経営目標だったと思われるが、ある程度の自由度を持つこと(得意先のいじめを受けない)、そのためにドメイン(客層・得意先の規模・現金取引中心)を絞り込む、その客層に対しよい仕事をする、この3つが経営戦略であったと思う。そのために飛び込み営業で客層を開拓したり、手形や借り入れを利用せずに済む体制を取る等の努力をしてきた。

また、今後の見通しは厳しく、慎重である。購入する設備代金の半額の準備預金を用意したい、という判断は長年の苦労から導かれたものだろう。マイナス成長の時代にはある意味で正しい判断だと言える。

また経営環境として、倒産の経歴から銀行取引にハンディがあり、借入金の利用が難しいという事もあった。

そのなかで、自社の経営目標を実現するための方針や計画としてみれば、これらも立派な経営戦略ではないか。

大企業はもちろんのこと、小規模企業にとっても経営戦略は必要である、また、多くの小規模企業はそういう意味での経営戦略を持っている、ということを教えてくれている。

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